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パリ北部に隣接する工業都市サンドニと行っても、ピンんとこないですね。
サッカー競技場スタッドフランスがあって、パリからはメトロの13番線でいけるところ。 あまり治安がいいところではないので、私自身行ったことがなかったのですが、 以前から気になっている、歴史建造物があるので、行ってみることにしました。 初代司教様・聖ドニが 殉教してモンマルトルでクビを落とされたあと、クビをもって 自分で ここまで歩いてきた・・といういい伝えがあるが、その様子を想像すると結構 こっけいな漫画調な映像になってしますのですが。 とにかく 今は 歴代王が眠っている聖堂です。 典型的なゴシック建築で、カトリーヌメディシス、ルイ16世、マリー・アントワネットなどなどという王家の方々が眠っているところです。 余談ですが、 マリーアントワネットが、フランス革命の煽りをうけ、コンコルド広場でギロチンにあった後、革命真っ只中、王家を認めないという事で、一般民衆と同じお墓に入れられていたのも、しばらくたってからこの大聖堂に移されてきました。 そして、その息子(ルイ17世)も、色々回って、200年経過した数年前にやっと、お父さん お母さんが眠るこの大聖堂に戻ってきたのです。 そのルイ17世の心臓が一般に公開されているとういではないですか! 怖いもの見たさで、ずっと興味があったのです。 続きは こちらから ルイ17世は 正式にはルイ・シャルル・ド・フランスと呼ばれ、フランス革命で処刑されたルイ16世とマリー・アントワネットの次男にあたります。 両親ともが、ギロチンで死んだ後はタンプル塔に一人で幽閉され、そこで1795年に10歳の若さで病死しているとされていました。しかし、その少年は、ずいぶんと長いこと別人(身代わりがいて、本人はどこかに逃げた)だとみなされていました。 この歴史の謎を紐解くために、2000年この少年の心臓をDNA鑑定にかけました。そのタンプル塔で病死した少年から摘出された心臓は、母親のマリー・アントワネットの遺髪のDNAと比較した結果、ルイ17世のものと明らかになりました。 本物と認定されたルイ17世(ルイ・シャルル王子)のガラスケースに封入されたアルコール漬けの心臓が パリのサンジェルマン・ロークセロワ教会で公開された後、心臓は本人の命日に当たる6/8パリ近郊にある歴代ブルボン王朝の安置されているサンドニ大聖堂でヴァチカンから派遣された大使によるミサのあと 安置所に埋葬され、両親、家族の元に帰ってきました。 このDNA鑑定が行われる前までは、私がルイ17世の末裔ですという人がドイツで現われたりとか、疑問疑問の固まりだったのですが、このDNA鑑定で一件落着といった所でしょうか。 ところで、その実物。 特に仰々しくもなく、置かれていました。 実際に目の前すると、その物体をじーっと見る勇気がなく、本当は どんなにしわが入っているのかなぁとか、場所によって多少色がどうなっているのかなぁとか考えていたのですが、 小さい、ベージュの固まりという事実しか、感じることができませんでした。 つまり、ちょっと怖かったって事と。 本物を目の前にすると、興味本位に 面白がっちゃいけないという念に駆られたって事です。 けど、もうちょと、しっかり見ておくべきでした。 それと、フランスの歴史もお勉強しなくてはいけません。 歴史好きにはたまらない場所だと思います。 私は、日本史しか勉強しなかったので、今こうやって、ヨーロッパに住んでいると、結構残念に思うけど、 日本史をしても1192作ろう鎌倉幕府しか覚えていないからあまり意味ないか・・・
by namitp
| 2005-02-25 01:01
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